手印の効果とその役割について

私は鮮明なイメージを見る方法やイメージングを、かなり研究したと思っていますが、本に書かれた方法ではいずれも満足な成果を得ることができませんでした

それらの方法はどれも一長一短で、やりやすい方法は単調で飽きが来るし、有効に思われる方法は難しくて入り口付近であきらめたものでした
そしてそれで成功している人を見ると、どうも生まれつきイメージを映像で見ることが出来た人が多いことに気がついたのです

生まれつきイメージを映像で見ることが出来た人とは、いって見れば自己催眠にかかりやすい人のような感じであると考えられます
つまりオーラ視をできたら、守護霊を見ることができたというようなタイプに近いのではと、思います

私はどうやら、そういうタイプではありません
そんな私のようなタイプでも、飽きずに取り組むことができるものとしては、この私のイメージ法は優れているのではと、考えています

それでも、この方法ですぐに気が目に見えるようになる訳ではないことを、書き添えておかねばなりません
こう言うものは、人による個人差が非常に大きいと感じていますので、たとえば三ヵ月毎日30分行えば必ず見えますという約束はできません
それでも、ただひたすらイメージしなさいという方法よりは、かなり優れていると私は感じています

「ムドラー」とは

また指で「まる」を作って、それに気を回転させるという方法を行っていたところ、面白いことを発見しました

神秘行研究家は「ムドラー」という、言葉を時々使います
「ムドラー」とは「印」または「手印」と訳されます

たとえば仏像を見ると、たいていがその仏像に応じた指の形をしているものですが、あれが「手印」「ムドラー」です

私の実家のお寺は、真言宗で弘法大師・空海が開祖ですが、真言密教ではこの「手印」や「真言」(マントラ)が重要視されます

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真言密教

そして法事の時など、僧侶がその家に来て読経するのですが、読経の最後に「手印」をさまざまに組み合わせる「秘儀」を行うのを見ることができます
そしてその際、特殊な「手印」は僧侶が袈裟で隠して、一般の信者に見えないようにして指を組んでいます

このように真言宗のような仏教では、「手印」は「秘儀」とされるほど秘密にされています

「手印」はじつは形だけ

私は今日の「手印」は、じつは形だけで形骸化しているのではと、想像しています
というのは、指で「まる」を作って、それに気を回転させるという方法が、もともとの「手印」の実態に近いと考えています

つまりその行法に応じた「手印」があって、それに気を回転させるという方法をもともと行っていたと思われます

すなわち気を感じることなく行われる「手印」は、どんなに秘密のものであっても、それだけで効果は発揮できないと考えています
気を感じるというのは、それ自体が「変性意識」状態に入る技法になっています

つまりその行法に応じた「手印」とは、「変性意識」状態で目当ての菩薩・如来を感じるための、条件反射の素材になっていると考えられます
つまり洗脳で言う、目当ての菩薩・如来を感じる状態がアンカーで、その行法に応じた「手印」がトリガーだと思われます

私は、ムドラーというのは、もともとこういうものであったと、考えています
そしてムドラーは、その変わった指の形だけに意味があるのではなく、そこに気の感覚がなければ機能しないと、推測しています
なぜなら、そこに気の感覚がなければ、変性意識状態ではないからです

より発展した段階

さて、指で「まる」を作って、それに気を回転させるという方法で、オーラに移動するイメージを乗せることに成功したら、より発展した段階に入っていくことができます

それは手のひらに指先から気を発射して、それを感じる方法をしながら、オーラが移動するイメージを作りだす方法です

またこの方法が出来るようになったら、今度は左手で受けることなしに、行います
こうすると右手の指先から、オーラで出来た「気」が発射する様子を、視覚的に見ることもできるようになっていきます

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また、この段階まできたら、日常生活にあっても、誰かに対して「気」が発射して、それを見ることを試すことができます

しかし普通は深い変性意識になければ、「気」が発射してそれを見ることは、難しいものですから、すぐに見られるとは考えないほうがよいでしょう
ですが見えなくても、しきい値のところで説明したように、顕在意識で見えていなくても、一時それで成功しているなら潜在意識では見えているはずです

ただ深い変性意識にならなければ、しきい値を下げることができないので、顕在意識には見えていないものなのです

ですから見えていないといってもこういう訓練をしていない「気」の発射よりも、相手の潜在意識に作用する力は強くなっています

対人周天とは

この段階まできたら、対人周天の練習に移っていきます

対人周天とは、高藤聡一郎氏が発明した概念で、「気」の発射による他人との内部表現の同調テクニックです
これは自分の頭頂より「気」を発射して、相手の内部を通って、会陰より入れて周回させることにより、相手を自分の変性意識に引きずり込むことを実現します

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高藤聡一郎氏によると、これを行うだけで相手は自分に対する好意を持つようにさせることができると、あります

相手を自分の変性意識に引きずり込むことと、他人との内部表現の同調効果により、ラポール形成を考えると、これはあり得ないことではありません

苫米地氏のテクニック

漏れ伝わるところによると、苫米地ワークスで教えられているテクニックには、気功を利用してるものがあると聞いています

たとえば他人の内部表現の書き換えテクニックでは、「気」の発射による他人との内部表現の同調効果のようです
そして他人との内部表現の同調させて、こちらが例えば眠くなるイメージを持てば、それが相手に伝わって相手が眠ってしまうことのようです

つまりこの他人の内部表現の書き換えのためには、「気」を操るテクニックに長けていなければ実現ができないと考えられます

しかし実際の講義では、「気」を操るテクニックはあまり教えられていないようです
手のひらを指さして「ここから「気」が出ていると強く思って下さい」とか言いながら、相手に向かってそれがでているイメージを行わせる程度のものであるとも、聞いています

実際は中国では気を感じるのに10年の修行が必要であるとかされていたのに、これではあまりに乱暴に思われます

じつはこれには理由があると、思われます

じつは苫米地氏本人が著書の中で述べられていますが、氏は生まれつきの共感覚者であるとのことです
そして相手が発した音声などが、色の着いた立体図形のように子供時代には感じられたと、言っています

もしこの記述が真実であるなら、私がD詳しく説明して目指してきた境地を、氏は生まれつき会得していたということになります
そしてさらに興味深いのは、氏は子供時代からそのようなビジュアルイメージで自分で操作するとができ、それを行うことで他人の感情をコントロールできたと、著述しています

つまりビジュアルイメージで「気」を感じて、それの操作で他人の内部表現を操作することを、練習なしでできていたのです
そのような人物が、ビジュアルイメージを見るだけで苦労しているような「普通の人間」にそのような練習を教えられるかどうか、怪しいのではないかと私は想像しています

ただ、練習によって、ビジュアルイメージを見るだけで、苦労しているような「普通の人間」にも、リアルな「気」が感じられると思います

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