うつ病は天使がくれた家族へのプレゼント

天使というと、あなたはどんな姿をイメージしますか?

中世の絵画にあるような、裸の赤ちゃんに羽が生えているような姿ですか?(実はあれ、ローマ神話のキューピッドがモデルなんです)

聖書を読んでみますと、天使に出会った人たちは、ほとんどが、震えおののき、 気絶寸前になっています。どうやら、ホントの天使って、怖いみたいですよ。 でも、天使は、恐れとまどう人々に「恐れることはない。私はあなた方に、良い 知らせを持ってきたんだからね」と語り、人々に神の祝福のメッセージを伝えた のです。

一見、めちゃくちゃ怖いんだけれど、実はものすごい祝福を持ってきてくれる。 それが天使です。

実は、うつ病も天使のようなもの。患者さん本人にとっても、家族にとっても、 とてもつらくて、苦しくて、どう考えても悪魔の手先にしか見えません。 でも、患者さんや、家族であるあなたに、考えられないようなすばらしい祝福をもたらしてくれるんです。

■うつ病は、「本当の自信」を取り戻させてくれます。
■そして「親密な関係」を取り戻させてくれます。

うつ病は、患者さんにとっても、そしてあなたにとっても、怖いけど優しい、天使みたいな存在なのです。

二つの自信

自信には、条件付きの自信と、無条件の自信とがあります。

条件付きの自信

これは、「自分には価値がある」と信じるのに、何かの証拠を必要とするような自信です。証拠(自信の種)は、一人一人違いますが、たとえば、
・こういう能力があるから
・こういう資格を持っているから
・こういう学校を卒業したから
・こういう業績を達成したから
・こういう地位に就いているから
・結婚したから
・みんなに「キレイね」と言われたから
・同年代の人よりやせているから
・自分の子どもがこういう学校に入ったから

こういう自信の持ち方は、分かりやすいというメリットがあります。そして、私たちから「がんばる力」を引き出してくれます。みんな、自信を手に入れたいですからね。 その一方で、そのような自信の追い求め方をすることで、かえって自信が持てなくなってしまうという副作用もあるのです。

どうしてか、お分かりですか?

比較による自信

条件付きの自信というのは、多くの場合、他の人との比較によって手に入れる自信ということです。 あの人よりも勉強ができる。このグループの平均的な人々よりも、収入がある。 同年代の友だちの中で一番スタイルがいい……など、要するに、人と比べて勝っているとか劣っているとかいうことが、自信を手に入れたり失ったりする基準になるのですね。

人と比べ、人と勝負して、勝っているときはいいのです。でも、負けてしまったり、負けるかも知れないと思ったりすれば、途端に自信の種を失って、落ち込み、 心がぶるぶると震えてしまうことになります。 勝っていても不安になる

では、勝っていればいいかというと、今度は「いつ負けるかも知れない」という不安が襲ってきて、「勝ち続けなければならない」という思いが自分を追い立て ることになります。 それに、ある目標を立てて、それが達成されれば、やがてそれが当たり前になります。すると、今度はもっと高い目標を立てて達成しなければ、自分も周りも納 得しませんよね。

・もしも立ち止まったり倒れたりしてしまったら……。
・もしも負けてしまったら……。
・もしも人より劣っているという烙印を押されたら……。

そうしたら、自分はもうここにはいられない。人から見捨てられる。もう生きて はいられない。そんな存在不安が心の奥底に生まれます。 ですから、「もっと高く」「もっと早く」「もっと大きく」「もっと強く」、もっと、 もっと、もっとと、際限なく走り続けなければならないのです。これでは心が安まる暇もありません。

ある高校生が、一生懸命勉強して学年で一番になりました。そして、翌日首をつって死んだのです。 遺書が残っていました。そこにはこう書かれていました。

「いつ2番に落ちるかと思うと、不安でたまらない」。

勝負をあきらめる生き方

そうでなければ、最初から勝負をあきらめ、もう一切の努力やがんばりを投げ捨ててしまうかもしれません。だって、もうこれ以上負けて傷つきたくないですもの。 そして、目的もなく、ただその一瞬、快楽を感じられればいいという、虚無的・刹那的な生き方に陥ってしまうかも……。

最近、ニートとかフリーターとか呼ばれる若者たちが増えてきました。その中には、不景気で、働きたくても働く場がないとか、病気のために働けないとかいう人もいますし、夢に向かっての準備期間として、アルバイト生活をしているという人もたくさんいます。

でも、その一方で、そもそも最初から働く気がないという、虚無的な若者たちもたくさんいるのです。彼らもまた、条件付きの自信をさんざん傷つけられて、勝負することを恐れ、勝負を最初からあきらめてしまった人たちなのかも知れませんね。

自信喪失社会とうつ病の増加

こうして、自信を喪失した人たち、あるいは自信を喪失したくないためにがむしゃらに走り続けて、くたくたに疲れ切った人たちの増加が、こころの病、特にうつ病を増加と関係しているのではないでしょうか。

条件付きの自信を手に入れて保つために、全力疾走してきて、あるときこころが ぽっきりと疲労骨折し、強制的にお休みモードに体を切り替えてしまった。 あるいは、何かやってはうまくいかないということを繰り返して自信を失っていくため、これ以上こころを傷つけたくないから、体が活動を制限してくれている。 ……それがうつ病なのかもしれません。

うつ病は天使

先ほど、うつ病は天使のようだと言いました。 それは、うつ病を通して、患者さんも、患者さんに関わる私たちも、条件付きの自信だけでなく(条件付きの自信そのものが悪いわけではありません)、他の自信の持ち方も身につけることができるからなのです。 それは、「条件付きの自信」に対して、「無条件の自信」です。

無条件の自信

無条件の自信とは、「自分はここに存在するだけですばらしい」と思えることです。 何かができるからとか、何かを手に入れたからというような、自信の種になるような「証拠」があってもなくても、それとは関係なしに「自分には価値がある」 「自分は生きていていい」と思えるということです。 つまり、根拠なしに「自分はすばらしい」と思えるような自信のことです。

つけあがって努力しなくなる?

根拠もなしに「自分はすばらしい」なんて思ったら、つけあがって努力しなくなると思いますか?

いいえ、逆です。自分がすばらしい存在だと知って、自分の内側にあふれる可能性が満ちていることを知った人は、「自分はすばらしい。だから、今よりももっとすばらしいことができるはずだ」。そんなふうに思うことができるのです。 そして、そのために努力することができるようになります。

その努力は、以前のような「自分の存在価値をかけた命がけの勝負」ではありませんから、余裕があります。喜びがあります。すると、かえって大きな力を発揮するものです。

野球などのスポーツでも、力みがなくなれば、かえってパフォーマンスが上がると言いますものね。

こんな話をご存じですか? 1987年のニューヨーク・マラソンで、大会新記録が生まれました。と言っても、11時間54秒の、つまり一番遅い記録です。この記録を叩き出したのは、リンダ・ドーンという女性です。

リンダさんは脳性小児マヒのため、運動機能と平衡感覚を失われていました。しかし、特別製の松葉杖を作り、それこそ血のにじむような訓練を積み重ね、そうして、ついにこの日、42.195キロを完走(完歩)しました。 大会の後、リンダさんはインタビューに答えてこう言いました。

「もし 私のような者が不可能に挑戦したら、人々に奮い立つきっかけを与えることになると思ったのです」。

実際、多くの人が励まされたのです。 リンダさんは、根拠なしに「自分はすばらしい」と思える人でした。そういう人 は、このような思いもよらないことを行なうことができます。そして、そういう人は、周りの人々に慰めや励ましを与えることができます。

この世では通用しない?

また、「勝ち負けにかかわらず、無条件にすばらしい」なんて、この世では通用しないとおっしゃる方もおいででしょう。

確かに、この世は競争社会ですからね。 学校でも会社でも、競争というのは避けて通れません。 しかし、無条件の自信を育てている人は、負けること、失敗することを恐れません。ですから、むしろ大胆に勝負をすることができます。 しかもその競争は、今までのような、自分の存在価値をかけた、せっぱ詰まった命がけの戦いではありません。ゲームに参加するように、真剣に楽しく(ゲームは真剣にやらないと楽しくありません)競争することができるのです。

そして、ラグビーの「ノーサイド」スピリットのように、勝っても負けても、競争相手とこだわり無く仲良くすることができます。

失敗を恐れない

無条件の自信を育てている人は、失敗を恐れません。失敗は、「自分はダメ人間だ」という理由にならないからです。むしろ、失敗はより成功するためのチャンスだと捉えることさえできます。そして、何度でもチャレンジすることができる のです。

「無条件の自信」を豊かに育てている人が書いた、失敗についての次のエッセイをお読みください。

失敗は、あなたが失敗者であることを意味しない。 それが意味しているのは、あなたはまだ成功していなかった、ということである。 失敗は、あなたがなにもなしとげなかったことを意味しない。 それが意味しているのは、あなたが何かを学んだ、ということである。

失敗は、あなたが愚か者だったことを意味しない。 それが意味しているのは、あなたは大きな信念を持っていた、ということである。 失敗は、あなたが恥をかいたことを意味しない。 それが意味しているのは、あなたがすすんで試みた、ということである。

失敗は、あなたにはそれが不似合いだということを意味しない。 それが意味しているのは、あなたはもっとちがった方法でなにかをしなければならない、ということである。

失敗は、あなたが劣っていることを意味しない。 それが意味しているのは、あなたは完全ではなかった、ということである。

失敗は、あなたの人生を浪費したことを意味しない。 それが意味しているのは、あなたには改めて出発しなおす理由がある、 ということである。

失敗は、あなたはあきらめるべきだということを意味しない。 それが意味しているのは、あなたはより一生懸命努力すべきだ、ということである。

失敗は、それが完成できないことを意味しない。 それが意味しているのは、それにはもうすこし長い時間がかかるだろう、ということである。

失敗は、神があなたを見捨てたもうたことを意味しない。 それが意味しているのは、神はもっとよい考えをお持ちだ、ということである! (引用:ロバート・シュラー「あなたは思いどおりの人になれる」 産業能率大学出版部 1976年)

あなたが、このように失敗を前向きに捉えているなら、自分のことを失敗者だと思いこんでいる患者さんは、だんだんとその良い影響を受けていきます。 どうぞ、あなたも失敗を恐れないでください。

今までの、患者さんとのやりとりを振り返って「失敗したな」と思っても、どうぞ落ちこまないでください。 別に、あなたがそれで人生の失敗者になってしまったわけではありません。失敗を前向きに反省して、すなわち、自分を責める材料としてではなく、「次はどうしたらいいのかを考える材料」にして、またやり直せばいいだけなのですから

むしろあなたは、患者さんとの関わりで、成功しつつあります。あなたは成功者です。ですから、必ずうまくいきます。

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